source : 2015.01.09 NEWSポストセブン (ボタンクリックで引用記事が開閉)
いわゆる「在日特権」が論じられる際、しばしば俎上に載せられるのが「特別永住者制度」の問題だ。
在日コリアンなどに認められたこの制度について、いまどう考えるべきか。
法学者の八木秀次・麗澤大学教授が問題提起する。
◇ ◇ ◇ ◇
先日、在特会(在日特権を許さない市民の会)の元幹部と話をする機会があった。彼は「当初、在特会の主張には説得力があり共感する人も多かったのだが、途中からヘイトスピーチをするようになり、違和感や嫌悪感を抱いた人々が次々と会を離れていった。自分もその1人だ」と、脱会の理由を語っていた。
私も在特会の主張の仕方には断固反対だ。ヘイトスピーチは単なる民族差別であり、彼らの言動により保守の言論・運動までもが「レイシズム」と十把一絡げに論じられる風潮に憂慮の念を禁じえない。
そもそも「在日特権」に関わる言説は、在日の人々へ向けられるべきものではない。日本の制度上の問題点を問うべき性質のものだ。
そこで本稿では、一般の外国人や、一定の要件を満たし永住を許可された「一般永住者」と異なり、原則無条件で日本に永住できる「特別永住者制度」を考察する。
特別永住者とは1991年施行の入管特例法で定められた在留資格で、日本の占領下で日本国民とされながら、終戦後に日本国籍を失った(母国に生活基盤を持たない)韓国・朝鮮人、台湾人とその子孫に付与されている。戦後の混乱期にさまざまな事情で母国に帰還できなかった人々に対し、日本への定住性を考慮し永住を許可したものだ。
そうした歴史的背景が当時としてはあった。とは言え、戦後70年、日韓基本条約の締結から50年が経ち、在日コリアンは5~6世も登場している。すでに特別永住者制度の役割は終わったのではないだろうか。
2013年末時点の特別永住者は37万3221人。そのうち韓国・朝鮮人が占める割合は全体の99%、36万9249人に上る。
今日、特別永住者は事実上日本の「準国民」として扱われており、参政権を除けば日本国民とほぼ同等の権利を有している。外国人である特別永住者に参政権がないのは当然で、民族差別とは別問題だ。
現行の日本国憲法が保障する権利や自由は、広く外国人も含め保障されるものと、日本国民だけを対象とするものを性質によって分けている。これを「権利性質説」と言う。
参政権や社会保障などの社会権は本来、日本国民だけを対象としたものだ。国家の意思形成に参画する権利、つまり参政権まで「在日の権利」と主張するのは無理があるのではないか。参政権が必要であれば、日本国民となり権利を享受すれば良いと私は考える。
特別永住者は事実上、年金や生活保護などの社会保障でも日本人と同等の扱いを受けている。2014年7月には最高裁が「外国人は生活保護の対象にはならない」という判決を出したが、運用は自治体任せというのが実態だ。
本来、社会保障は国籍のある本国に第一義的責務があり日本が代行する義務はない。「国家は防衛共同体であり、その構成員を助け合う」というのが社会福祉の趣旨だからだ。たとえば軍人恩給は、国のため戦い傷ついた人を国が面倒を見る、という発想に基づいた制度で、これが現在の年金制度の土台になっている。
国民年金については、難民条約批准による法改正で1982年に国籍条項が撤廃され、外国人である在日コリアンも年金に加入できるようになった。
その上でなお、彼らは当時35歳以上だった人が年金加入資格を満たせず「無年金者」となったことに対し、各地で「障害者無年金訴訟」や「高齢者無年金訴訟」を起こした。これらは最高裁まで争われたが、いずれも原告が敗訴している。在日コリアンはこれを民族差別とするが、あくまで年金制度の不備によるものだ。
歴史的な事情は各国で異なるが、長いこと海外で暮らしながら、居住地の国籍を取得しない韓国・朝鮮人がこれほど多い国は日本だけだ。在米コリアンの多くが米国籍を取得するのはなぜか。国籍を持たない者は、制度上の差別に直面するからだ。職業が限定され、州によっては税制面で不利益を被るケースもある。
ところが日本では、国籍を取らなくても何らデメリットが生じない。むしろ、事実として特別永住者は日本と母国を自由に往来し、無制限に財産を形成できるメリットまである。再入国も容易だ。特別永住者にとって、日本がとても居心地の良い国であることは間違いないだろう。
これは在日コリアンの意識の問題ではなく、あくまで制度としての問題である。
在日コリアンの中には、日本国籍取得のハードルが高いという声もあるが、1990年代以降は特別永住者に対する帰化申請の手続きも緩和されている。日本政府が本腰を入れてこの問題に取り組むのであれば、日本国籍取得のサポートをより拡充すべきだ。
在日コリアンの方々に対しては外国人(一般永住者)として生きるのか、帰化して日本のフルメンバーになるのか、選択を迫ることになる。それでも、外国から見て明らかに不自然なこの制度は、やはり戦後70周年を節目として見直すべきだと考える。
※SAPIO 2015年2月号
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