【現地レポート】もうどこにも逃げ場がない……
■心に残るザラザラとした小さな破片
2ヵ月半ぶりにドイツへ戻ったら、そこは春のようだった。
11月は普通なら暗くて寒い。霧も多い。一年で一番嫌いな月が11月だというドイツ人は少なくない。
ところがその11月のシュトゥットガルトが、私が戻ってきて以来10日間、ほぼ毎日快晴なのだ。しかも信じられないほど暖かく、木にはまだ色づいた葉っぱがくっついている。春だと勘違いして土から何やら芽が吹き出し、蜂も飛ぶ。
買い物がてらに街を巡回してみたら、なんと、屋外のカフェが繁盛していた。皆が、これが最後のチャンスとばかりに、陽の光に顔を向けて座っている。
広場には大道芸人はいる、ストリート・ミュージシャンはいる、その横を、アイスクリームを舐めながらブラブラと歩いて行く人がいる。
当然、道行く人々の服装もめちゃくちゃで、ダウンのコートを着ている人がいるかと思うと、Tシャツ1枚だったり……。
まさに異常気象による倒錯的光景だ。薄手のセーターの上にウールのコートを羽織って出かけた私は、すっかり汗だくになってしまった。
しかし、この平和な光景は、100パーセント真実ではない。
あの夜以来、あの、パリでテロがあった夜以来、誰の心の中にも、何とも説明できない不快なものが、ザラザラとした小さな破片のような感じで残っている。
どこへいっても、それは大気の中にどんよりと漂っており、消えることがない。
■こんな不思議なパリの光景を見たことはない
あの日、私はめずらしくサッカーを見ていた。パリで行われた独仏親善試合のTV中継だ。
突然、ドカーンというものすごい爆発音がした。アナウンサーが「何でしょうね……」と訝(いぶか)しがった。
このとき、スタジアムのVIP席には、フランスのオランド大統領とドイツのシュタインマイアー外相が仲良く並んで座っていた。
しかし爆発音の後まもなく、SPからの報せでオランド大統領は退席、裏で非常事態についての対策を協議し、そのあいだシュタインマイアー外相は、観客がパニックに陥らぬよう、何食わぬ顔で観戦を続けるよう頼まれたという。
まだこの時点では、スタジアムの観客はもちろん、中継を見ていた私たちも、フランスの戦後史上最大のテロがパリを襲い始めているとは夢にも思わなかった。
しかし、サッカーが終わると、状況は一変した。街にはすでに非常事態宣言が出ており、地下鉄は動いていなかった。スタジアムのゲート2ヵ所が閉じられたため、8万人の観客は突然、不安になった。どうやって家に帰れば良いのかわからなかったのだ。
このテロの衝撃は甚大だった。翌日も、その翌日も、一日中、臨時ニュースが流れ続けた。非常事態宣言は解かれず、週末だというのに、美術館もエッフェル塔もすべてが閉まったままだった。
シャンゼリゼは空っぽで、人っ子一人見当たらなかった。こんな不思議なパリの光景を、おそらく今まで誰も目にしたことはなかっただろう。
このテロにより、EU市民の心には次第に、「もう逃げようがないのだ」という絶望的な気持ちが広がっていったように思う。
エリゼ宮やド・ゴール空港ではなくコンサートホールやカフェが、そして、政府高官ではなく一般の若者たちが犠牲になった。しかも、週末の夜、皆が、ごく普通に楽しんでいるところをやられたのだ。これからのテロは、用心したくてもできない。
おりしも13日の金曜日。すべてが申し合わせたように象徴的だった。
■テロリストたちの目的は完全に達成された
多くのドイツ人は、独仏の親善試合が狙われたことを気に病み、次はベルリンかと戦慄した。
いずれにしても、パリに、当たり前のようにカラシニコフが何丁も存在したということは、EUの治安は保たれていないのだ。モヤモヤとした気味の悪さは拭い去ることができなかった。
17日、今度はドイツのハノーヴァーで、ドイツ対オランダのサッカー試合が予定されていた。「テロに屈してはいけない!」、「勝ち負けではなく、我々の団結を示すためにも試合は行う!」というのが、ドイツサッカー協会の強い意思だった。
試合前の国歌の演奏は、オランダとドイツのそれではなく、フランスへの友情を示すため、「ラ・マルセイエーズ」に切り替えられることになった。こうなると、すでに普通の試合ではなかった。メルケル首相、ガブリエル副首相、デ・メジエール内相、マース法相が観戦することも決まっていた。
その夜、7時のニュースでは、会場で着々とその準備が進んでいる様子が映し出されていた。試合開始は8時半だ。
ところが、8時のニュースをつけると、すでに臨時ニュースで騒然としていた。7時15分に突然、試合中止が決定されたというのだ。具体的なテロの危険があるという。
会場の周りをもの凄い数のパトカーが囲み、スピーカーからは、「観客は"一刻も早く"スタジアムを離れ、できれば帰宅して家で過ごすように」という放送が暗い夜空に響いていた。テロリストたちの目的が、人々を不安に陥れることだったとしたなら、それは完全に成功したと言えるだろう。
一方、「テロには屈しない」という試みも多くのところでなされている。
シュトゥットガルトのフランスの総領事館へ行ってみたら、玄関のところにたくさんの花束と蝋燭が並んでいた。手紙も添えてあった。地面に画用紙を広げて絵を描いている人もいた。
犠牲者の遺族と悲しみを共にするために、あるいは、テロリストへの怒りに駆られて、皆、足を運ばずにはいられなかったのだろう。
■#ParisisaboutLife
ドイツでは、ここ数ヵ月、難民政策が非常に混乱している。
難民は、今年だけで100万人以上がやってくると予想されており、シリア難民を無制限に入れようとするメルケル首相と、制限を設けて秩序立った受け入れに変えていかなければ大変なことになるという人たちが、与党内で激しく対立している。
もちろん、難民の中にイスラム過激派が混じり込む危険は、前々から指摘されていた。
しかし、パリのテロの後、彼らはこれを争点にすることを一時中止している。難民はテロから逃れて来た人たちであり、テロリストではないという解釈を、超党で前面に出しているのだ。
「テロリストはすでにEUの国籍を持っており、EUのパスポートで、シリアでもどこでも自由に出たり入ったりしている。いまさら難民を装う必要はない」という見解は、おそらく真実だ。フランスでマークされているイスラム過激派は3000人、ドイツでは2000人と言われている。
ツイッターでは「#PrayForParis」というハッシュタグで、事件後3日間に650万の書き込みがあったという。しかし、興味深いことに、イスラム過激派の襲撃を1月に受けたシャルリ・エブド紙のカリカチュア画家が、それに異議を挟んだ。そこにはこう書かれていた。
「全世界の友人たちよ、#PrayforParis をありがとう。でも、もう宗教は要りません! 私たちの信じるものは音楽です! キスです! ライフです! シャンパンと、そして喜びです! #ParisisaboutLife」
確かにこちらの方がよいのかもしれない。
宗教を信じている人たちを傷つけず、侮辱せず、一つの社会で仲良く暮らすことは簡単ではない。しかし、よく考えてみると、我々日本人こそ、それが結構得意な国民のような気がするのだが、違うだろうか?
フランスのオランド大統領は、テロの2日後から、激しい勢いでシリアのIS拠点を空爆し始めた。EU市民がテロの恐怖から解放される日は遠い。
2015/11/21
Posted
2015/11/21
Posted
source : 2015.11.20 現代ビジネス (クリックで引用記事開閉)
韓国大統領 月山明博(李明博)の…天皇陛下への「不敬発言」
痛惜の念などという単語一つを言いに来るのなら、来る必要はない。
日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い。
重罪人にするように手足を縛って頭を足で踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。
重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話だ。
そんな馬鹿な話は通用しない。
それなら入国は許さないぞ。
日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い。
重罪人にするように手足を縛って頭を足で踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。
重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話だ。
そんな馬鹿な話は通用しない。
それなら入国は許さないぞ。
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