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2014/04/27


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何が「右傾化」か、あたりまえの国に向かっているだけだ…中韓の歴史認識戦争などなくとも日本人は覚醒する

 source : 2014.04.26 【河村直哉の国論】産経ニュース west





日本とは日のもとの国の謂(いい)であり、古代においてこの国号は成立している。なんと誇らしいことではないか。日の出ずる国、光に満ちた国、独立自尊の国として先人たちはこの国を思い描き、連綿と受け継ぎ守ってきた。

だが約70年前から、この国の光景はがらりと変わる。敗戦と連合国軍総司令部(GHQ)の占領方針、独立後もその方針を後生大事に踏襲してきた日本人自身によって、である。筆者はそれを戦後日本の左傾化と呼んでいる。簡単にいえば終戦までの日本の歴史をおとしめ国家を否定する、極端に偏った思潮が戦後日本を厚く覆ってきたのだった。

いま雲が晴れようとしている。第2次安倍晋三政権の発足以降、日本の左傾メディア、およびそれと呼応する海外のメディアがしきりと日本の「右傾化」を騒ぎ立てるが、実際は異なる。左傾しすぎていた日本が、ようやくふつうの国に戻ろうとしているだけである。1つには日本人自身が、いびつな日本の戦後を本気で正そうとしているからだ。もう1つ、日本を取り巻く国際情勢が抜き差しならない段階にきているという外的な要因も大きい。

■領土と歴史をめぐる暴論

後者から見る。国際情勢の変化とは、まずは領土と歴史をめぐる中国、韓国の、わが国に対する横暴極まりない姿勢である。特に尖閣諸島に対する中国の露骨な野心は、アメリカによって作られ戦後の左傾・護憲勢力が金科玉条にしてきた、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」する現行憲法の限界をあぶり出している。

歴史認識問題の背景にも、謀略を伝統とする中国の古典的な戦略思考があると見ておかねばなるまい。これまでのところ、日本に対して悪口雑言を放ち続けているのは圧倒的に韓国だが、朴槿恵氏が大統領選に当選した直後、中国は韓国に特使を送って歴史認識での共闘を呼びかけるなど、韓国を走狗(そうく)として使ってきたといえる。中国が表に出るのは昨年の、安倍首相の靖国参拝以降である。

古典的戦略思考についてはいずれ改めて論じたいが、兵は詭道(きどう)なり、つまり欺くことだというのがその考えのひとつ。2003年、中国人民解放軍の政治工作条例改正で打ち出された三戦(世論戦、心理戦、法律戦)もそれに沿う。

世論戦とは大衆と国際社会の支持を得ること。南京事件や慰安婦問題について、アメリカで反日世論が形成された背後には中国・韓国系ロビー団体があることが、かなり知られてきている。心理戦は敵の士気低下を招くこと。日本のなかに日本人自身による反日的な世論や勢力を作ることは、大いに日本の士気低下につながるのだ。南京事件といい慰安婦問題といい、いずれも日本の左傾したメディアや活動家が騒ぎ立て社会問題にしたものであることを改めて指摘しておきたい。あるいは特定秘密保護法や集団的自衛権の行使に色めきだって反対し、日本の国益を損ねかねないのが、こうした勢力なのである。

■独立国たる姿勢

さらに大きな視野で見ると、アメリカを中心とした冷戦後の世界秩序の、急速な流動化がある。アメリカの覇権の相対的な低下と表裏をなして、中国、そしてロシアが覇権への野心をむき出しにしている。

野心国は、内向きに転じたオバマ大統領の足もとを完全に見ているといってよい。シリアの化学兵器の使用を「レッドライン」としながら、昨年9月、オバマ氏は「アメリカは世界の警察ではない」といって武力行使を見送った。東シナ海上空への中国の防空識別圏設定、そして今回のウクライナ危機と、世界秩序の激変がオバマ演説を機に一気に起こっている。

これは実は、憲法とともに戦後日本を形作ってきた日米安保条約の考え方そのものにかかわる問題を根底にはらんでいる。現段階で日米同盟が不要などというつもりはない。今回来日し、尖閣諸島について「日米安保条約の適用対象」と言明したオバマ氏の姿勢に水を差すつもりもない。今後も日米同盟を軸としていい。

だがこれまでのオバマ氏の内向きぶりを思えば、有事にアメリカは本当に日本を守るのかという懸念が完全に払拭(ふっしょく)されることはないだろう。それ以上に、次のように考えるのがごく自然になってくるだろう。独立国たるもの、自国の安全はまず自国が守る、そのうえで同盟国とともにより強固な防衛態勢をとる、と。この、自国の安全は自国が守るというごくあたりまえの精神が、戦後日本には大きく欠落していたといわざるをえない。

■内側からの覚醒

国際情勢の変化はこのようにして、憲法、安全保障という国家の屋台骨から、戦後日本を覚醒させようとしている。そればかりではない。歴史認識問題は期せずして、日本人を内側からの覚醒に向かわせているのだ。

国家とは、ただの空間の広がりでも人々の寄せ集めでもない。統治の形や経済的な数字だけで語れるものでもない。習俗、文化、道徳、言語まで含めた歴史こそ、国家の実質をなす。歴史とは終わった過去のできごとではなく、現在を生きる者のなかに流れているものなのだ。中韓の歴史の捏造(ねつぞう)と厚顔無恥にそれを言い募る態度を、現在の日本人がわがことの怒りとして感じるのも、その理由による。

無論、日本人の覚醒は中韓が仕掛けた歴史認識戦争ごときのみによるものではない。そんなものがなくても日本人は目覚める。荒廃した戦後教育の現場、社会での公の軽視と私の増長ぶり、金銭至上主義など、近年の日本に現れたまがまがしい兆候に、心ある日本人は眉をしかめていたはずなのだ。日本はこれでよいのか、と。

日本の国の歩みは、こうした局面をいくつか持っている。思い起こすひとつが、幕末の開国前夜である。爛熟(らんじゅく)した消費・欲望社会にまどろむこの国に諸国の船がやってきて、外圧をかけた。先人は日本人の日本人たるゆえんを自ら確かめ、独立の精神で立ち向かおうとした。たとえば水戸学はそうした精神の系譜に位置づけられよう。その1人、会沢正志斎(あいざわ・せいしさい)は、水戸藩領にイギリス人が上陸した事件に衝撃を受け、「新論」を書いた。ペリー来航より30年ほども早い。「神州は太陽の出づる所、元気の始まる所」と書き起こされるこの著書の基軸に、正志斎は「国体」という概念を置いた。

戦後の左傾した風潮のなかで封印された言葉である。しかし「国にして体なくんば、何を以て国となさんや」という正志斎の言葉は、もはや率直に読まれてよい。日本人として気概をもって外圧に立ち向かっていこうとした覚悟が、伝わってくる。国民が国民であることを自覚し、誇りと愛情を持つことが、現在もなにより求められているのではないか。


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