■あるテロリストの処遇
サミ・A(42歳)はチュニジア人のイスラムテロリストだ。1997年、21歳でドイツに留学した。その後、ドイツにある回教寺院の説教師として、テロリストを勧誘するアジテーターのような役割を担い、メキメキと頭角を現した。その間、さまざまな理由で学生ビザが延長され続けたが、2005年、学業は修了しないまま、ビザがついに切れた。
ちょうどその頃、デュッセルドルフで、ユダヤ人の施設に対する爆破テロを計画していたとされるイスラム組織の公判が続いていた。それに関して、サミ・Aが1999年ごろ、アフガニスタンで、アルカイーダの軍事訓練とイスラム原理の教習を受けていたという有力な証言が出た。
それどころかサミ・Aは一時、アルカイーダの指導者、ビン・ラーディンのボディガードにまで昇進していたらしい。しかし、彼は取り調べに対し、アフガニスタンには入国したことがないと主張。結局、容疑は固まらず、放免となった。
サミ・Aが住んでいたのはボッフムという町だ。この後、ドイツの官庁とサミ・Aとの終わりなき戦いが始まる。ボッフム市長は、サミ・Aの滞在ビザ延長を拒否。彼を強制送還の対象とし、パスポートも没収した。それに対し、サミ・Aは当該の行政裁判所に権利保護を求め、難民申請も試みた。
ドイツでは、たとえ外国人が犯罪を犯しても、拷問を受ける可能性のある国に送還することは禁止されている。犯罪者であっても人権は守られなければならないからだ。実際にサミ・Aも、まさにその理由で、チュニジア送還を免れていた。
ちなみにドイツでは現在、テロを起こす危険があるとみられている人物760人が警察の監視下にあり、うち153人はすでに保護(留置)されているという(連邦刑事庁・2018年3月発表)。2015年、ドイツになだれ込んだ大量の難民の中には、相当数のテロリストが紛れ込んでいたとみられている。
さて、ドイツ当局とサミ・Aとの裁判は14回にも及び、多額の税金と多くの時間が注ぎ込まれた。しかし、そのたびにサミ・Aはさまざまな法律を駆使して自己を弁護しつつ、自由にドイツで暮らしていた。
そのあいだにサミ・Aはチュニジア出身の女性と結婚し、4人の子供をもうけた。ドイツ生まれの子供たちは、合法的にドイツの国籍を取得し、その母親である妻にもドイツ国籍が与えられた。
それによりサミ・Aには、「4人のドイツ人の子供の父親」と、「ドイツ人女性の夫」という2つのステータスが付帯したため、母国送還の心配はほぼ消滅。それどころか反対に、ドイツ国家から保護される立場になったのである。
■なぜそこまでして税金を使うのか
しかし、時は流れて2018年、事態が一変する。
3月にできた新政権は、難民資格のない外国人は速やかに母国に送還にすると決めた。ましてや、犯罪者やテロリストは、真っ先に送り返す方針だ。
そこでボッフム市は、管轄の行政裁判所に、サミ・Aの母国送還の何度目かめの申請をした。サミ・Aはテロリストとして名が知れていたこともあり、彼の送還は、新しい難民政策のシンボルとしての意味があったのだ。
しかし、裁判所は7月12日、またもや申請を却下した。理由は拷問される可能性。
その却下の通達がボッフム市に届いたのが翌朝9時過ぎだったと言われるが、しかし、なぜか、そのときサミ・Aはすでに機上の人だった。しかも、飛行機はチュニジアの管制空域に入っていたという。複数のメディアは、州当局が「裁判所が送還を妨害できないよう」、正確な日時を秘匿したと疑っている。
チュニジアに着陸後、サミ・Aは拘束されたが、拷問もされず、27日には証拠不十分で釈放となった。ただ、捜査は継続しているため、国外に出ることは許されていないという。この知らせに、「やれやれテロリストが一人減った」と喜んだドイツ国民は多かったと思う。
ところが、まもなく同州の上級行政裁判所が、サミ・Aをチュニジアから連れ戻すよう命じた。送還は法律違反なので、連れ戻せなければ、ボッフム市には1万ユーロの罰金が課されるという。
裁判所の主張はシンプルだ。サミ・Aを強制送還するなら、彼をもう一度ドイツに連れ戻し、チュニジア政府からサミ・Aを拷問しないという担保をとり、裁判所の許可を得た上で送還という正式な手順を取らなければならない。
日頃から、多くのテロリストや犯罪者を保護しているだけでも腹立たしいのに、せっかく送り返したテロリストを、大金を投じてまた連れ戻す? たとえ送還の手続きに多少の問題があったとはいえ、なぜ、そこまでする必要があるのだ?
飛行機のチャーター代は一回3万5000ユーロ(450万円強)だとか。サミ・Aを連れ戻したあと、再度送還するとなると、飛行機代だけでもこの3倍が掛かる。もちろん、すべては税金だ。
■民主主義と全体主義の境界で
案の定、このあと論議沸騰。
ノートライン−ヴェストファレン州の法相(CDU・キリスト教民主同盟)が、「司法の独立は貴重である。しかし、裁判官は自分の判決が、国民の正義感に相応するかどうかという視点も持つべきだ」と言えば、SPD(社民党)や緑の党の議員がそれを、「法と法治国家に対する認識に欠陥」とか、「法治国家の弱体」として激しく反発。
一方、メディアは「法を守らない人の人権をも、法で守るのが民主主義である」と胸を張る。そして、民主主義を擁護する悲壮な記事が多々。
国営第1テレビのオンライン版(8月16日付)には、「テロリストを追い払うため、行政や政治家は法治国家を壊そうとしている。彼らのしていることは、イスラムの扇動家たちの行為よりも危険だ」という意見まで出た。つまり、論争は民主主義とは何かという議論にまで発展したのである。
施政者が自分に都合の悪いことをねじ伏せられる国では、三権分立は壊れる。また、司法の役割はもちろん法を守ることで、国民がこれが正義だと感じることを守るわけではない。「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は、命をかけても守る(ヴォルテール)」が、民主主義の基本である。
しかし、国家や国民に重篤な被害を及ぼそうとしている人物、あるいは、すでに及ぼした人物を、膨大な税金を使って保護し続けることは、これと同列に語れることなのだろうか。ある人が、「これが民主主義だ」と認めた意見以外が「反民主主義」として駆逐されるなら、それはすでに民主主義とは言えない。民主主義と全体主義の境目はどこにあるのだろう。
法は人間が作るものだ。しかもドイツでは、現在の状況に合わせて、法を見直すことが禁止されているわけではない。戦後できた基本法(憲法に相当)も、すでに60回以上も改正されている。いうなれば、その柔軟性を持ってこそ、ドイツはこれまで世界有数の法治国家であり続けたのである。
法が一人歩きをし始めたら、それも危険な兆候だ。「法治国家」も「民主主義」も、念仏のようになってしまっている今、サミ・A事件の投げかけたテーマは、かなり興味深い。
昨今のドイツでは、言論の自由を守るという理由で、言論の自由が封殺されている空気を強く感じる。そのドイツでは、民主主義であるが故、サミ・Aが合法的にドイツに滞在していたのか、不法に滞在していたのかさえ、決着が付いていないのである。
2018/09/30
Posted
2018/09/30
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source : 2018.09.28 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 (クリックで開閉)
韓国大統領 月山明博(李明博)の…天皇陛下への「不敬発言」
痛惜の念などという単語一つを言いに来るのなら、来る必要はない。
日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い。
重罪人にするように手足を縛って頭を足で踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。
重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話だ。
そんな馬鹿な話は通用しない。
それなら入国は許さないぞ。
日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い。
重罪人にするように手足を縛って頭を足で踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。
重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話だ。
そんな馬鹿な話は通用しない。
それなら入国は許さないぞ。
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